週2回のジム通いと8キロランを欠かさず、バリバリ働いてきた「仕事人間」の60代男性が昨年12月、余命3カ月の宣告を受けました。病名は急性骨髄性白血病。その男性とは、ケアマネジメント研修の第一人者として知られる高室成幸さん(67歳)です。「自分らしく」逝く、生き方とは――。高室さんに聞きました。
――医師から余命宣告を受けたときの思いは。
口をついて出た言葉は「マジか?」でした。
これまで4回の抗がん剤治療にチャレンジしました。それでも再発して、担当医から「もう打つ手がありません」と告げられたときは、「あ、おれ死ぬんだな」と、言葉にできない脱力感にとらわれました。
当初は、健康高齢者から転げ落ちた自分は負け組ではないか、というモヤモヤする思いがありました。かつて勤めていた外資系企業の同僚は、いまもバリバリとビジネスやゴルフをしている。合わせる顔がないな、知られたくない、と思ってしまう自分がいました。
でも、頭を切り替えました。自分は余命何カ月かも知れないけれど、100年後には私の周囲にいる人で生きている人は誰もいない。
みんな余命を生きている。一足先に逝く人間としてできることはあるんじゃないか、1カ月でも3カ月でも、残り時間にできることをやろう、と。
そこから「会いたい人・行っておきたい場所ツアー」を怒濤(どとう)のようにはじめることになりました。
生前イベントを開催
――高室さんは、親しい関係者らが集まる「生前“Special-Thanks”フォーラム」を3月に開催しました。医療福祉、出版関係者ら約100人が会場参加し、オンライン配信は約170人が視聴したとうかがいました。講演会のようにスライドを使ってご自身の歩みを語ったり、感謝の言葉を伝えたり。なぜ生前葬のようなイベントを開こうと思ったのでしょうか。
私は白血病患者の当事者になった。当事者だからこそわかること、伝えたいことがある。私には医療・福祉介護関係の知り合いも多く、伝えることには意味があると思いました。
もう一つは、私の葬式の時にみんなが来てくれても、そこに私はいない。やっぱり感謝を伝えるなら自分で伝えたかった。逝くときに「あー、あの人に会っておきたかった」という悔いは残してはいかんな、という気持ちもありました。
最初は30人ぐらい集まってくれたらいいな、ぐらいに思っていました。一番心配だったのは、私が3月まで生きているかどうか、でした。本人がいなくなっていたらどうしよう、と。
――イベントを開いてみて、いかがでしたか。
メチャメチャよかったです。みなさんから感謝の言葉を受け取り、感謝を伝えることができました。みんな頑張って生きている、ということを感じることができました。
多くの人が参加してくれたことが私の「心の栄養」になりました。どんな人も誰かの支え手になれると思いました。
終了後の日々は、三途(さんず)の川の向こうの世界に一度行って、また戻ってきたような不思議な感覚です。自分自身や家族、仲間を少し引いた目でみている自分がいます。
みなさんも、一区切りの年齢を迎えたら、生前葬的なイベントをやられたらいいと思います。ゆるやかに、自分らしく人生をソフトランディング(軟着陸)していく、その仕掛けとして。
感謝を伝え、受け取る
家族や友人に感謝をじかに伝え、受け取っておく。関係する人たちも喜ぶと思います。若いときは結婚式で人が集まるけれど、70代80代になるともう葬式や法事しか集まる機会がない。お互いの生存確認、生存点呼をする場としても、意味があると思います。
――もしものときに「自分らしく」逝くために、どんな心構えが必要でしょうか。
「もしも」じゃない、「やがて」誰にもくるんですよ、その時が。
60代70代になれば、いつその時がくるかわからない。自分なりの主観的な幸福感に満たされる方法、自らの終わり方をデザインしておくことではないでしょうか。
あらかじめ「逝き方」をデザインしておかないと、いざというときに、まわりの言われるままになってしまう。体力も気力も落ち込んで、間際にはもう考えられない。どんどん自分の気持ちも縮んでいきますからね。
会っておきたい人、行っておきたい場所。あらかじめ自らの終わりに向けてデザインしておくと、「ならば今のうちにやっておこう」とそれを前倒しでやる動機づけになります。
主治医は私に「今のうちに…